ノックアウト

詩のボクシング




先日図書館で久々に「詩のボクシング」の本を見た。
見たと言っても読んだ訳では無く、
持ってこられたのを見せて頂いたという話。
表紙を見てあることを思い出す。


数年前。
詩のボクシングとやらがちょいとブームだった頃。
友人の古典学者と焼酎を飲みながら話をしていた。
当初、二人で話していたのが、
どうして詩人が戦うのかという話。


詩とは発信者と受信者が居るのだが、
双方がシンクロすることはなかなか難しい。
いや寧ろ不可能だと言い切れる。


けれど、故に成立する。


あやふやさ故に駆け引きが生じて
表記された文字列以上の感情を発生できる。
ってことは絶対水準のようなモノは無い。
じゃぁどうやって優劣をつけるの??
キミ達は勝つことで詩を表現したいの??


詩人が勝ちたいと思う、
もしくは競いたいと思うのが甚だ疑問だったんです。


果たして宮沢賢治が出場したでしょうか?
ウィリアム・ブレイクが、もしくはホイットマンが…。
多分無いでしょう。


何故なら他人を意識して出来た詩など
何も素直でなく、イミテーションでしかないから。
ココロという宇宙から溢れ出る詩を発信させて
初めて詩になると思う。
少なくともオイラはそういう詩だけが
オイラの心を共鳴してきた。


時間を忘れて二人でマンションの屋上で朝まで話したっけ。
で、結論。
行ってみようや、詩のボクシングとやらに。。。
参加する程才能があるわけではないので、
一オーディエンスとして。


何処だったけかな。。。
東京のどっか。。。
どっかのバーでありましたです、詩のボクシングとやらが。
二時間くらいかな。
大好きな日本酒を煽りながら聞きました。


で、感想。
想像していたのとは全然違った。


詩??


詩では無いような…。


寧ろプレゼンテーション。
詩はあくまで媒介。ツール。
けれど、オイラ個人的には良かった。
ってか、かなり良かった。


朗読が基本だが、
その手法がそれぞれ違う。
ラップを使って韻を踏んだり、
役者の様にアクトを取り入れたり、
気づけば会場の誰もがその雰囲気に取り込まれていた。


コトバの掛け合い。
相乗効果で出演者のモチベーションが高まり、
そのままオーディエンスの気持ちも高ぶる。
一体感という意味では申し分が無い。


で、何故か知らないが、
オーディエンスの即興コーナーなるものがあって、
オイラが指名されたわけ。
えええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!
まじかよ!?
それって一番難しいやんけ!!
だって、準備どころかネタも無いし。


大体何でオイラ??え?何??一番目立ったって??
ただ一番前に座ってただけやんか!!
はぁ。参った。。。
で、仕方なしに、しましたよ。
即興。


「ココロ」って叫んで、
後は3分位沈黙しました。


そしたら誰かが「ジョン・ケージだ!!」って叫んでくれました。


そうです。
1952年 彼が作った究極の名作(迷作?)
4分33秒
表現の発信者として究極のイマジネーションを観客に与えた音楽家


要するにオイラは二番煎じ。
インチキです。
へへへ。
だって即興とか無理やし。
でも、意外と良い反響を頂きまして
おかげで日本酒がもう一杯タダになりました。


でも今から考えると
あの時に誰かが気づいてくれなかったら
どうなったんだろう??


ただの沈黙だけ。


沈黙。


でも、これも立派な表現方法。
ってなわけで、オイラの好きな本の一つ、
谷川俊太郎さんの「沈黙のまわり」の写真を載せてみました。
お暇な方は是非一度読んでミソ。
あ、でもちょっと難しいです。覚悟して!!

今日、同居人に聞かれました。

オイラ:「どっか行きたいなぁ。遠くにさ。」
同居人:「あのう…何か忘れようとしてません?」
オイラ:「ん??」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
オイラ:「やっぱ駄目??」
同居人:「現実を受け入れましょうよ。」
オイラ:「だって…。」
と、オイラの携帯が・・・。
そうそう着信音が「関白宣言」です。
オイラ:「もしもし」
おかんだった。。。
で、開口一番
おかん:「あんた、今日誕生日やったっけ??もう30歳??」
まだだよ!!この人だけは絶対に許せない!!!

今日のお薦め

オイラの中で一番好きな詩。
しかもそんな中でも
この小林さんの版画が挿絵になってる
パロル舎の絵本が一番好きです。

雨ニモマケズ―画本宮沢賢治 (画本宮澤賢治)

雨ニモマケズ―画本宮沢賢治 (画本宮澤賢治)