ココロニモナキウタヲヨミテ

ココロニモナキウタヲヨミテ



何でもないコトは流行に従う


重大なコトは道徳に従う


芸術のコトは自分に従う


日本には数多くの尊敬すべき人々がいる。
彼らは人間の根源というものに関して
非常に積極的で且つ慎重だった。
生きるとは何か?
自分とは誰か?
何ゆえに存在しているのか?
現実とは?

あらゆる根源的な疑問を抱いては
何も無い日常を紐解き、
表現という手法で持って
各々の独自の考えを示す。

先日オイラが足を運んだ展覧会も
そんな尊敬すべき男のものだった。
その名も小津安二郎
今や日本を代表する映画監督である。
もっとも彼は一足先に冥途へ旅立たれたが。


ローアングル。
彼はそんな手法に凝った。
カメラポジションを
かなり低めに構えるという一風変わった手法。
多くの彼に対する評価はこの手法を取り上げての事だが、
オイラ的には、
何よりも彼の映画の一コマ一コマに対する情熱が好きだ。
決して手を緩めない。
妥協という文字は間違いなく無い。
全てのスクリーンに映し出される一瞬は
申し分が無い程の完成度だ。
小道具から、人の表情まで、
彼の注文はうんざりするほどのモノだったらしい。
その所為か出演する役者さんも
大体同じ役者さんが多い。
きっと小津映画の良き理解者たちなのであろう。

彼の作品を通して
個人的に痛烈に感じることは
とても綺麗なフィルターを
もしくはカメラで言うならば
ファインダーを持った方だということである。

兼ねてより、オイラは社会というモノが
とても汚れているように思えて仕方が無い。
人々の欲求と妄想で出来上がっている
何一つ真理では無い事象。
今も大してその考えは変わっていないが、
ただ、彼はそんな社会に
ただ抗うのではなくて、
そこにさえ存在する限りなく真理に近い部分を
とても上手に抽出して
スクリーンに映し出す。
それは一見とても素朴な部分だったりする。
けれど何よりも本質的。
暴力シーンや、殺人シーンは一切使わず、
死や別れにおける切ない寂しさを
家族などを初めとした人間関係でもって
優しく包み込む。
儚い人生には何時でも意味がある。
小津映画はそんな優しい徳のある教科書だ。

たった一週間の展覧会に、
一体どれ程の人が訪れるのかは見当もつかないが、
ただ言えることは、
訪れた誰もが彼の戯れの遊び心に
影響されずにはいられないということ。
彼はそんな魅力を持った表現者だ。

問題

三角形の内角の和は総じて180度になると言われています。
果たしてそれはいかなる条件でもそうなりうるでしょうか?
とりあえず数学の先生に聞いてみよう!!

気づいたこと

オイラ、このブログにはまってるかも・・・。
気づけば12日もつけてる。すっげぇ・・・。

今日のお薦め

乱れる言葉。
こんなフレーズが社会では取り沙汰されている。
語源があやふやになり本来の意味から
掛け離れたところで用いられる。
良いか悪いか、そんなことはオイラの知ったこっちゃない。
けれど、立ち止まって考えると意外と面白いモノだったりします。

言葉の常備薬

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